断捨離モード全開になる!

副業の備忘録

こんにちは、

絶賛、揺り戻し中のさゆりです。

大月さんとなんなさんが主催している、

アートシフトのグループコーチングで

5次元の未来設定をしています。

その中で、5次元の未来に向かう

タイムラインで、現在の自分の縁起を切る

(お金、時間、仕事、人間関係)

というワークをするんですが、

最初はね。

素直にイメージをしていったんですよ。

でも、あることがきっかけで、

自分だけ理想の未来に向かうってことに

罪悪感が出てきたんです。

理屈では分かるんですよ。

*‥‥‥‥*‥‥‥‥

まず自分が幸せになって、

周りにその影響を与えて行って

自分の周りの人も幸せにしたらいいんだ。

*‥‥‥‥*‥‥‥‥

理屈では分かるけれど、

感情が、それ、違わないですか?

と、引っ張ってくる。

自分だけ理想の未来とかに進むんですか?

私たちは置いてきぼりですか?

誰にも言われてないけど、

そんな風に思われる気がする。

はい、完璧思い込みです(>_<)

でも、この罪悪感、何かににてるなあ~

と、考えていたら、

ある方がメルマガに片付けのことについて

書かれていて、

それを読んで、断捨離に挑戦して、

モノを捨てる時の罪悪感と一緒だ。

と、気づいたんです。

ねぇ~、必要な情報引き寄せるでしょ(余談)

もったいない、いつか使えるかも、

高かったし、等々の雑念のほかに、

思い出のシーンに結びついていて、

もう二度と使うことはないと

分かっていても、

捨てたら、その思い出が無くなって

しまうのではないか、

そのモノと結びついた人まで

忘れてしまうのではないか、

という、恐れ、罪悪感が、

私は出てくるんですよ。

ところが、その方のメルマガには、

次のようなことが書いてあったんです。

「そもそもモノが散らかる状態というのは

 自分に何が必要かの判断ができていない状態という事

 片付けとは自分の価値観を見定めること」

私は、 なるほど〜、と思いました。

もったいないは、

手放したら無くなるという

不足感なんじゃないか?

いつか使うかもは、

目標に期限をつけられない原因

なんじゃないか?

高かったしは、それ以上の価値は

手に入らないんじゃないかという

自己価値の低さの表れなんじゃ

ないか?

そんな風に思ったんです。

で、さらに、その方のメルマガから

引用させて頂くと、

 ↓

『自分の目の前のモノすら必要か不要かの

判断ができない状態で

自分の人生にとって何が必要で不要かの

判断ができる訳がない!!』

そう書いてあったんです。

もうね、片付けしよう!!!

要らないもの捨てよう!!!

絶賛、断捨離モードに入りました!!!

片付けして、自分の価値観見定めて、

自分が決めた人生を進んでいくぞ!

オー!!!!

っていう気分です。

もう一つ、刺さった一文がありました。

以下抜粋 ↓

「不要なのになんとなく残してあったもの」

のせいで

「欲しいものを欲しいと思ってはいけない」

みたいな面もあったんだなと。

私→ あるある、わたしもあります。

片付けの先に、これが私の望みってものが

明確になるかもしれない(*’▽’) 

なので、片付けを通して、

必要なものと不要なものの見定め、

判断ができる私を目指します。

モノを通して、自分の人生の判断も!

それではまた来週お便りします

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