こんにちは、さゆりです。
ここ2.3日、目の疲れからの目の奥の痛み、
首筋の痛み、頭痛があり、
Twitterのアファメーションだけ投稿と
スマホ、PC絶ちをしておりました。
メルマガも、ノートに手書きで下書きをして
PCに向かう時間を少なくして、
症状の回復を優先していました。
なんとかメルマガ書けそうになってきました。
さあ、打ち込もうっと。
今日は、我慢じゃなくて、辛抱をしようね。
っていうお話をします。
私は今、LP制作を行っているんですが、
それって、自分を知る為のものだなあって
思っています。
自分の頭で考えているだけだと、
壁にぶつかって進めないので、
さとみさんの価値観の深堀ワークに参加したり、
なんなさんの、タロット講座を受講したりして
潜在意識にアクセスして、
本当の自分を見つけようとしています。
そんな中で、自分の思考の癖に気づいたんです。
・体調が良かったら、もっと出来るはず。
・足。腰の不調が良くなったら、もっと出来るはず。
(腰を痛めて治療中)
・環境が整っていたら、もっと良くなるはず。
・お金があったら、もっと良くなるはず、
もっと色んな事が出来るはず。
良くなるまで我慢しよう。
お金が入ってくるまで我慢しよう。
ん、私どうして我慢しようなんだろう?
今の現実から目をそらしていましたね。
今の状況をちゃんと受け入れてなかったです。
我慢するのではなく、
今を満足させる。
我慢しないに設定変更です。
今の状況で出来ることにフォーカス。
と、そこで、
私どうしていつも我慢しなきゃって思うんだろう
と考えてみたんです。
そうしたら、子供のころ、
あなたはお姉ちゃんなんだから
(三姉妹の長女)我慢しなさいと言われて
育ったこと。
親が、我慢している姿をずっと見てきたことで
それが当たり前だと思ってきたことに
思い当たりました。
それで、ふと「我慢」という言葉を調べてみたんです。
以下ネット情報です。
ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*
「我慢」という言葉は、「忍耐」という
意味で用いられ、ポジティブな意味合いを持つ
いい言葉のように思われていますが、
もともとは仏教の言葉で、うぬぼれ心のこと
自分の思いを押し通してしまう、うぬぼれ心
仏教では、己の考えを正しいと押し通す
自惚れ心をすべての人が持っていると説かれ
この慢心を「我慢」といいます。
我(が)をよりどころとして心が
高慢であること。
自分自身に固執して他人をあなどること。
我意を張ること。強情であること。
弱さを見せまいとすること。
また、そのさま。
ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*
えー、そうだったの。
ヤバいです。
思い当たることあります。
「我慢しているわたしはエライ」
「私はこんなに我慢しているのに、我慢
していないあなたはずるい。
あなたも我慢しなさいよ」
そんな風に思ったことがあります(;’∀’)
^^; ^^; ^^;
なんて高慢だったんだろう。
ね。
ところが、
次のような文章がありました。
ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*
我慢と辛抱の違いは何か?
我慢は自分がしたくないことや嫌なことを
堪えること
辛抱は自分の為や人の為に自ら志したものを
実現するための努力をする辛さ
ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*
そうか、
私これから我慢せず、
辛抱することにします。
我慢は誰かに我慢させられている、
という感覚がありますが、
辛抱は自らやりたいことを志して
辛いことも、抱きながら努力する
って、ことですよね。
その方が自分軸で生きられる気がします。
あなたは、どう思われますか?
我慢はしないけど、辛抱はする。
そのスタンスで過ごしませんか?
それではまた来週お便りします。
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